HISTORY 歴史
将軍家が愛し、財界人が居を構えた地
歴代将軍が鷹狩に興じる際の休憩場所として、また、諸大名をもてなす迎賓館として、「御殿山」は将軍家に重用されてきました。明治時代以降、伊藤博文、西郷従道、今も残る関東閣を築いた岩崎家ら、著名な政財界人や文化人たちが相次いで屋敷を構え、この地に移住しています。一帯は次第に豪邸が集まる邸宅地の色を深めるようになります。1950年代以降の現代美術を広く集めて人気の「原美術館」は、原 六郎の私邸跡です。展示作品もさることながら、当時の建物をそのまま活かしたモダンな洋館はそれ自体が見ものであり、古きよき面影を今に伝える貴重な建築物になっています。
今なお語り継がれる伝統の地
城南五山「御殿山」は品川、高輪から目黒にかけて広がる、邸宅地として語り継がれてきた高台です。花房山・池田山・島津山・八ッ山と並び称されたその名が最初に歴史に登場するのは江戸時代になります。まだ埋立地などなかったころ、高台から見下ろす眼前に海外線が迫り、富士山も望む景勝地だったというこの地に、時の将軍・徳川家康が築いた別邸「品川御殿」を由来として、「御殿山」と呼ばれるようになったとされます。以来、明治、大正、昭和と、時代を貫いて要人や文化人たちに愛され、人々の憧れを集めつづけました。現在の地図には、当時の地名はもはや見当たりませんが、人々の記憶の中に深くその名をとどめている場所となります。
江戸の昔から広く親しまれてきた桜の名所
17世紀後半の寛文年間、徳川四代将軍・家綱は奈良・吉野山から桜を取り寄せ、この地に移植しました。以後、「御殿山」は江戸でも指折りの桜の名所として名を馳せ、広く知られるようになりました。文政7年(1824年)の調べでは、界隈の桜の総数はおよそ600本。その壮観は当時の出版物にも取り上げられ、名所番付「東都名所記」で上位に格付けされた他、有名な「江戸名所図会」でも、「御殿山」の桜の見事さは、賞賛の言葉とともに紹介されています。八代将軍・吉宗が享保3年(1718年)にハゼの木を移植してからは、秋の紅葉が風流を愛する人々を数多く集め、この地の魅力に加わります。高台からの東京湾の眺めとともに目を楽しませた、「御殿山」の自然は、時を超えてこの地を象徴する風景になります。
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